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  • 1年前

    いきなりですが、楽満ホームは2023.2.7円町から西大路御池に移転しました。
    ブログの方も下記URLに移動しています。
    宜しければ、この後もお付き合いいただければ嬉しいです。
    https://www.rakumanhome.com/blog/4469/

  • 2年前

    先回のブログで、少人数では賃貸だけで固定費を賄うのは難しいと記載した。
    このことから賃貸以外に、もう1本収入の柱になる事業を模索しているところであるが、夫々に時間と費用を要し、現時点で柱と言える状態には育っていない。
     ①管理戸数の増加を図る。オーナー様の代行として賃料の徴収やクレーム対応を行うビジネスである。賃料の3~5%の手数料を毎月得られる(所謂ストックビジネス)ことから、管理専門の賃貸会社も多数存在する。DMや講習会の開催等、オーナー向けに管理委託を募る。多くの時間を要する割に単価が低いため、根気よく継続することが鍵となる。
     ②オーナー様より媒介(仲介)依頼を受け、賃貸募集をかける。多くの場合①とセット契約となる事が多い。客付に成功した場合、宅建業法上の仲介手数料(報酬)は家賃の0.5ヵ月分である。空き期間が長い等、管理に不満を持つオーナーは少なくないが、開拓、継続に多くの時間を要し、収入の柱に育てるには想像以上のマンパワーが必要である。
     ③売買事業への進出。管理依頼を受けたオーナーから収益物件として売却依頼を受けることは珍しくない。従っていつでも対応できる体制を整えておく必要がある。なお、全て自分で対応するのは難しい事から、足りない部分は他社とのコラボを積極的に取り入れている。そのためには日頃から横の繋がりを疎かにしないことである。
     他にも他社との差別化等多くのビジネスチャンスは存在する筈であるが、当面の課題は安定した経営の実践である。そのためには適切な固定費の管理と固定費を下回らない収益の確保である。具体的には適切な陣容の形成(増員)が、喫緊の課題かも知れない。

  • 3年前

    不動産屋になろうと決心した師の事を書く予定だったが、まだ面映ゆいところがあり、暫く見送ることにした。
    今回は開業1年を過ぎたことから、開業前には気付かなかったことが色々と見えてきたこともあり、1年を振り返ってみようと思う。
    不動産屋の開業に関する著書やブログはとてもたくさん存在し、私も開業までに随分参考にさせていただいた。
    しかしながら、実際に開業してみると見たり聞いたりしたこととは、大きなギャップを感じることになる。
    まず、不動産屋は小資本で開業できる?これは概ね当たっている。私の場合、FCに参加したこともあり多少多めの資金を要したが、それでも1,000万円程度で開業はできた。
    不動産(仲介)屋は、仕入れ資金が不要である?これは半分当たりで半分大外れである。確かに人様の持ち物を売ったり貸したりして利益を稼ぐ訳で、仕入れている訳ではない。
    しかしながら、買ったり借りたりするお客様を見つけてこなければ仲介は成立しない。つまり、そこには想像以上の広告費がかかるのである。
    私たちの場合、概ね60万円/月の広告費を費やしているが、これをケチると仕事が減ることを意味するため、減額するのではなく如何に成約率を上げるかが重要となっている。
    不動産屋は固定費が低い?これは仕入れ資金と重複するところだが、事務所の賃料やFCフィー等を合わせると130万円/月(人件費除く)が店の固定費となる。
    例えば、この固定費を僅か3人の家族経営会社が賃貸のみで賄えるかと言うと、残念ながらその可能性は極めて低い。
    従って、不動産屋は管理等の多角化を必然的に取り入れていくことになるのである。続く・・・

  • 3年前

    1998年、私は1度だけ家を建て替えたことがある。理由は一つ。娘が18歳、息子が14歳になり(数か月後、予期せずもう一人子宝に恵まれるのだが)、家族で過ごせる時間はそれほど長くないと思ったからである。新築後2日目にして4人家族は5人家族になったのだが、実際に5人で住めたのは僅か5年間ほどであった。今は夫婦二人だけのガランとした家になってしまったが、5人で住めた5年間は毎日がドラマのように感動と落胆を繰り返す人生で最も充実した夢のような時間だった。
     ところで、家を建て替えようと決心してから、建て替えるまでに3年近くの期間を要した。その主たる原因は金融危機と知人による詐欺事件に巻き込まれたからである。銀行融資を申し込んだ1996~1997年は山一証券自主廃業、北海道拓殖銀行経営破綻と言った金融危機真っ只中にあり、財形貯蓄満願に達していたにも拘らず、強烈な貸し渋りに遭い、まさかの審査不通過となってしまった。
     ところが、こともあろうか手付金百数十万円が建築会社から返還されなかったのである。理由は次回の再申込時まで預かり金にするとの事で、当時の私にはそのことが違約行為であることが分からなかった。そのことをたまたま知人の不動作業者に話したところ、取り返してくるから委任状を書けと言うので書いたところ、あっさりとその日のうちに取り返してきた。当時私は「こいつは凄い」と思ったのだが、宅建業法を知っていれば、返還は当然の事であった。
     話は、これで終わらない。取り返してきた手付金百数十万円を元手に、お隣を買い取る話となり、私は当時の相場の2倍までなら出すから話を進めるよう、活動資金として手付金全額をその不動産屋に渡した。ところがなんと初日にお隣に挨拶に行ったのみで1年間全く活動しなかったのである。痺れを切らした私は、結論を求めると「できませんでした」の一言で活動資金全額を持って行かれてしまった。実に無駄な1.5年間を費やしてしまった訳だが、私にとって、こんな不動産屋は排除すべきだと心に誓った事件であった。
     次回は不動産屋になろうと決心した、私の師の話をしたいと思う。

  • 3年前

    ブログを綴るにあたって、なぜ不動産屋を目指したかを書く必要があるだろう。
    遡ること5年、定年を迎えるにあたって人生の棚卸を試みた。その結果「私は何を残しただろう」の問いに答えられず、このまま人生を終えてはならないとの結論に達してしまった。
    残り少ない人生で何かを残したい。残すなら、人様に喜ばれる何かを残したい。
    では、人様に喜んで貰える事とは何だろう?その答えは人により様々だろうが、命を救う事、夢を実現させる事の二つは間違いなく上位に来ると思う。
    還暦過ぎて医者になった人を過去に1度だけ見たことはあるが、私にその能力は無く時間もかかりすぎる。勿論、消防士に採用されよう筈もない。で、命を救うは早々に諦めることにした。
    ならば夢を実現させる、そのお手伝いなら自分にもできるのではないかと考えた。
    「夢の実現のお手伝い」なかなか響きが良い。だが、どこかで聞いたようでインパクトが無い。なぜなら実態が伴っていないからである。
    では、実態ある夢の実現のお手伝いとはどんなものだろうか?その究極はディズニーランドかも知れない。ただ、60過ぎたオヤジが箒を持って闊歩したら、背筋が寒くなる。
    60年人間をしていると、いくつか大きなイベントに遭遇する。その中でも家に関する事は結婚や出産と並ぶ一大イベントであった。
    その、家に関する事で心底感謝したことと、酷い詐欺の両方に遭遇した。その内容は折に触れ綴る予定だが、人様の一大イベントに携わる不動産屋は、間違いなく実態ある夢の実現のお手伝い業だと私は思う。そんなこんなで残りの人生をかけて取り組むのは不動産屋との判断に至った次第である。

  • 3年前

    齢65歳。何を思ったか還暦過ぎて宅建士を目指してしまった。当然1回で受かろう筈はなく2年を費やし、めでたく宅建士に。がしかし、不動産屋未経験の還暦親父を雇う企業は現れず、ならば自分で起業してしまえとばかりこの世界に飛び込んでしまった。
    そんなこんなで開業後1年が過ぎ、えらい世界に飛び込んだものだとつくづく思う今日この頃。これまでの経過と今の状況を織り交ぜてつぶやいてみようと思う。
    流石にド素人が、何のつてもなくこの世界に飛び込むのは無茶と判断しFCに参画。そのメリットデメリットは1年を経過し漸く分かってきた。
    開業時の経験は、いくばくか後進のお役に立てれば光栄だが、自分の経験しかつぶやけないので、参考程度にして欲しい。
    他方、未熟故になかなか採算ベースに乗ってこない現実があり、諸先輩方には忌憚ないアドバイスを頂戴したい。
    時間はかかると思うが、ボチボチ終活に代えてブログを進めていきたいと思う。

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